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遺跡ガイド4

Bakong
Banteay Srei
Banteay Srei
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バコン
881年、インドラバルマン1世によるヒンドゥー教寺院。砂岩がふんだんに使われていますが、実はロレイやプリア・コーよりも古い寺院です。建築物を平面的な配置から立体的なものへと移行していく時期に造られた革新的なデザインが目を引きます。寺院の入り口を護る“ナーガ”が登場するのもこの寺院が初。後の時代の物と違い、ずんぐりとした蛇が胴を地面に横たえています。ほとんどの浮き彫りが風化しているのに、不思議と残された、阿修羅のレリーフがあることでも知られています。

プリアコー
879年、同じくインドラバルマン1世によるヒンドゥー教寺院。小さな村の中にひっそりとたたずんでいます。基壇の上に6本の祀堂が立ち並び、前列の塔の入り口正面に、堂内に祀られたシヴァ神を待つ形で牛の石像が残されています。クメール語語で“コー”とは牛のことで、“ナンディン”はシヴァ神の乗る聖なる牛を指します。寺院の名前はこの3体の牛の石像に由来しているのです。 

ロレイ    
  灌漑用に作られた”インドラタタカ”という溜め池の中央に893年、ヤショバルマン1世が祖先を祀って建立した寺院です。このためロレイに参拝するためには、石段の場所まで船で漕ぎ付けなくてはなりませんでした。2層の基壇の上には、崩れかけた4基の塔が残されています。敷地内には現在使用されている仏教寺院があり、修行中の僧の生活を垣間見ることも出来ます。バナナやパパイヤそれにジャック・フルーツといった熱帯の果実が植えられているので、市場で出会うこのようなフルーツがどのように実を結ぶのか間近に見ることも出来ます。

バンテアイ・スレイ
  通常、アンコールの遺跡はその時代の王によって造られるのですが、バンテアイ・スレイは例外になり、967年にヤジュヌヴァラーハ(ラジェンドラバルマン2世〜ジャヤバルマン5世の時代)という王の師によって造られたヒンドゥー教寺院です。他の寺院と比べるとミニチュアのような小さな寺院ですが、驚きは内部に隠されています。中央には3本の祀堂があるのですが、この内、中央の塔は男性の祖先に捧げて北と南の2本は女性に捧げて作られたと言われ、中央の塔の入り口には男性の守り神、残る2本には女神が刻み込まれています。この寺院は、当時希少だった「赤色砂岩」で造られていて、ぱっと見た目にも他の寺院と違った印象を受けます。残されたレリーフはインド文化の影響を感じさせるもので、どれも彫りが深く、ため息が出るほど緻密なものです。中でも、南北の塔に描かれた女神(別名、東洋のモナリザ)が秀逸です。バンテアイ・スレイとは“女の砦”を意味します。他に類を見ない、この美しい女神達にちなんで、寺院自体がこの名で呼ばれるようになったのです。現在ユネスコの指導により東洋のモナリザを見ることはできません。

バンテアイ・サムレ 
ヒンドゥー教建築スタイルから12世紀前半頃に建設されたと推定されていますが、多くは謎のままです。この地方に「サッ」(カンボジア語で刺青の意味)をした人が多く住んでいたので、この名で呼ばれるようになったとの説もあります。ここでは、珍しいラテライト製のナーガを見ることが出来ます。

プノム・クロム 
アンコール地方に3つあった小山の上に、10世紀頃、ヤショバルマン1世が造った寺院の1つ。3本ある中央塔は風化が進み、乾いた印象を受けます。天気がいい日には360度の景色を眺めることが可能。夕陽を見るもう1つの穴場でもありますが、街から離れた場所にあって、アクセスも悪いので注意が必要です。

 
プノム・ボック
ヤショバルマン1世が造ったもう1つの山上寺院。周囲は静かな森で、神秘的な雰囲気に包まれています。3本の中央塔に加えて、経蔵らしき建物が残されていて、その上で木々が生長を続けている姿を見ることができます。

 

West Mebon ( 西メボン)
アンコールの西側にある巨大な溜め池・西バライ。その中央に浮かんでいるように見える島の上に建設されたヒンドゥー教寺院です。11世紀頃、ウダヤディジャバルマン2世により完成されました。雨季には壊れた寺院の大部分が水の下に隠れてしまいますが、水量が減ると全貌が現れます。ここで発見された巨大な青銅のヴィシュヌ神像は、現在プノンペンの国立博物館に収められています。
 
Ak Yum (アクユム)
7世紀頃のヒンドゥー教寺院。西バライの堤防を西に進むとつけることが出来ますが、現在残されているのは土台の部分だけ。もとは5本の塔を持つ大きな寺院でしたが、西バライ建設時に、敷地の半分が池の底に沈んでしまったようです。

 

 

バッチュム
  10世紀に建設されたヒンドゥー教寺院。現在は、水田地帯の中にぽつんと3本の塔が残されています。レンガ製の塔は風化が進み、屋根の上で生長する植物によって崩壊が進んでいます。特に北端の塔は今にも真っ二つに割れて崩れてしまいそうです。

タ・ネイ 
タ・ケウに近い森の中にある、12世紀後半の仏教寺院です。規模は小さめですが、典型的ジャヤバルマン7世スタイル。大きな木はありませんが、周囲を深い森に囲まれ、崩れた石材の多くは地面に落ちたままです。

プラサット・チュルン
アンコール・トムの巨大な壁の四隅に、それぞれ残された祠。南西の隅には、アンコール・トムの敷地内に溜まった水を排水する仕組みも残されていて、一見の価値があります。西門から南西隅へは整備された遊歩道になっています。

西プラサット・トップ  
創建は10世紀頃。ヒンドゥー教寺院として建設されて、後に仏教寺院として利用されていたようです。バイヨンから西へ延びる道なりに進むと、入り口を示す小さな看板があります。アンコール・トムの中にありながら、訪れる人は少なく、ひっそりと森の中に隠れています。中央塔の屋根には木が生長を続け、寺院の崩壊が進んでいます。

東プラサット・トップ
13世紀にジャヤバルマン8世が建設したヒンドゥー教寺院。象のテラスと勝利の門を結ぶ道の脇に、入り口を示す小さな看板がでています。この寺院は、ジャヤバルマン7世以後に造られた貴重な寺院です。スタイルは12世紀後半のものを継承していますが、ヒンドゥー教の寺院であることが明らかになっています。

ヴィヘア・プランプル・ロヴェン
アンコール・トムの象のテラスと勝利の門を結ぶ道沿い、プラサット・スープラの真裏にあります。ラテライト製の周壁の内側に土台と小さな祠があり、中には仏像が収められています。実はここに収められている仏像が、バイヨンの中央塔地下から見つかったいわくつきの物。

プラサット・プレイ
12世紀後半から13世紀初頭。ジャヤバルマン7世による仏教寺院。ニヤック・ポアン入り口のすぐ北にあります。クメール帝国が力を失っていく時期に造られたせいか、残念ながらレリーフに力がありません。
  12世紀後半、ジャヤバルマン7世による仏教寺院。プリアカンの東門入り口付近から北を見ると塔の先が見えます。小さな丘の頂にある小さな寺院ですが、独特の存在感があり、規模の小ささから、幼少の王子のために造られたのではないかという説もあります。また、目の釣りあがったデバターがいることでも知られています。

バンテアイ・プレイ
  プラサット・プレイへの道をさらに30mほど北に進むと見えて来ます。ジャヤバルマン7世によると思われる仏教寺院。敷地は広いのですが、寺院そのものは小振りです。

クロル・ロメアス
  アンコール・トム北門を抜けて、プリア・カンに向かう道路沿いに小さな目印があります。用途など詳しいことは不明。ラテライトで円形に組まれた建造物は、西側が一部途切れていて、闘牛場のようにも見えます。

バンテアイ・トム
  外側に向かって開かれた窓がなく、冷たい印象を与える寺院。“巨大な砦”の名前がしっくりきます。何よりも驚かされるのはその荒らされ方。人目につきにくい水田地帯の中にあるせいか、ほとんどのレリーフが削り落とされ、持ち去られています。

プラサット・プレイモンティー
  ロリュオスに建設されたもう1つの宗教拠点。彫刻類はほとんど持ち去られ、壊れた石材の破片が散乱しています。祀堂の前には巨大な石棺が残されています。

チャウ・スレイ・ヴィボール
11〜12世紀に建てられたと推測されるヒンドゥー教寺院。小さな丘を利用して、立体的に建築されています。東側に残された幅数10mの階段や、内戦時に捕虜を収容したという回廊状の建物など、他のアンコール建築では見られない特徴がいくつも見られます。この遺跡に関しては残された資料が少なく、謎に包まれたままです。別名、ワット・トラックとも呼ばれます。

Phnom Krom
Bachum
Banteay Prei
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