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遺跡ガイド3

Sras sran
Banteay Kdei
Ta Prom
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Sra Sran(スラスラン)
バンテアイ・クディの正面にある700m×350mの巨大な人工池。12世紀後半にジャヤバルマン7世が沐浴のために建設したと紹介されていますが、原型は10世紀に建設されていたようです。1964年にフランス極東学院によって行なわれた調査の際には、甕棺が多数出土し、一時期には共同墳墓として利用されていたことが明らかになっています。水位が低くなる乾期の終わり頃には池の中央に小さな島が姿を現すのですが、王が船でここに渡り、祭儀を行なっていたと考えられています。
 
Banteay Kdei (バンテアイ・クディ)
バンテアイは「砦」、クディは「僧房」という意味。敷地内には多くの僧が住んでいたらしく、重要な巡礼地の1つでもありました。一般にジャヤバルマン7世が12世紀末〜13世紀初め頃に建築した寺院と紹介されていますが、それ以前にあった寺院を改修したという説もあります。クメール帝国が力を失っていく時期に建設されたためか、石の組み方は雑でレリーフも今一つ迫力に欠けています。上智大学の研究チームが修復・研究にあたっています。

Ta Prom (タ・プローム) 
1186年、ジャヤバルマン7世が建てた仏教寺院です。遺跡が発見される時、どういう状態なのかを感じることができるように、あえて最低限の修復に留められた貴重な場所です。敷地内のほとんどはジャングルのまま。本堂周辺だけ歩きまわれる程度に修復されています。生長を続ける木々は、いたるところで周壁を乗り越え、寺院の屋根にまで登っています。発見された石碑から建造された年が判明し、王が母に捧げて建造したことや、寺院の敷地内に僧や踊り子、学者達などたくさんの人が住む街になっていたことも明らかになっています。時間に余裕がない旅でも必ず訪れたい寺院です。

Ta keo (タ・ケウ)
10世紀末〜11世紀にかけて、ジャヤバルマン5世を含む複数の王が建設に携わったヒンドゥー寺院。建設中に、落雷があり(あるいは、建設半ばに王が死去したという説も)縁起が悪いという理由で建設が中止されてしまいました。このため、ほとんど浮き彫りが残されていません。5本の中央塔も積み上げられたままで彫刻が施されていませんが、それがかえって異彩を放ち、不思議と印象に残ります。正面にあたる東側には、灯篭のような石柱が立ち並んでいます。

Tomannon & Chau Srei Devoda
(トマノンとチャウ・サイ・テヴォダ)

12世紀前半頃、ソリヤバルマン2世によって建設されたヒンドゥー教寺院。道路を挟んで北側のトマノンは修復済みで、建設当時の姿を取り戻しています。敷地を平面的に活かした寺院配置は小柄ながら威厳を感じさせます。一方、南側のチャウ・サイ・テヴォダは2002年6月現在修復中です。基本的な造りはトマノンと同じですが、東側に「空中参道」があります。この2つの寺院は「アンコール・ワットの練習台」とも言われますが、実際、この修復中の参道は、アンコール・ワットの第2回廊と第3回廊をつなぐ橋に似ています。両寺院には、美しい彫刻とデバターが残されています。

 

 

Preah Khan (プリアカン)
  見逃せない寺院の1つ。ジャヤバルマン7世によって1191年建造されました。隣国チャンパ(現ベトナム)との戦勝を記念し、王がその父に捧げた仏教寺院です。本堂は中央に行くにしたがって幅が狭くなるように出来ていますが、これは参拝に来る全ての人が、父に敬意を払う(頭を下げる)ように意図的に造られたものです。東西南北4つの門は、それぞれ仏陀、シヴァ神、ヴィシュヌ神、先祖に捧げて設けられたものです。これはヒンドゥー教徒が多かった時代に「ヒンドゥー教徒でも来やすい寺院にしたい」と考えた王の工夫です。(自身が信仰する仏陀に捧げた東門は、若干広くなっています。)中央塔の内部にはストゥーパ(墓)があり、壁には無数の小さな穴が空いています。建設された時、室内には、差し込む光を乱反射させるために銅版が張ってあったのですが、その銅版を壁に固定するために打ち付けられた杭の跡がこの穴なのです。寺院南側は、タ・プローム同様に修復が最低限に押さえられているので、ここでも文明を静かに壊していく自然の力を垣間見ることが出来ます。聖なる剣が収められていたという2階建ての建物も必見です。

Neak Pean (ニャック・ポワン)
  12世紀後半、ジャヤバルマン7世。ヒマラヤにあったという伝説の湖・アナバタプタ。その水で体を清めれば万病が治ると伝えられていました。この湖を模して、ジャヤバルマン7世が民衆のために造ったのがニャック・ポアンです。中央塔には観音菩薩が祀られていました。塔の正面にある石像は、海で難破した男達を助け出した馬で、観音菩薩の化身です。小さな4つの池が大きな池を囲むように造られていて、中央には浮かぶように島が造られています。小さな方の池にはそれぞれ祠があり、内部には象・馬・獅子・人の顔をした取水口(人間が生きていくために必要な4つの要素「水・空気・火・大地」を現す)があり、訪れる人はここから流れ出す水で身を清めました。

Ta Som (タ・ソム)
  12世紀後半にジャヤバルマン7世が建てた、小規模な遺跡。「四面仏」を持つ寺院の1つ。観光道路と反対側にある東門では、大木が菩薩の顔を包み込むように生長を続けています。修復はされておらず本堂は崩れたままですが、前述の大木は一見の価値があります。
 
East Mebon (東メボン)
一時的に都が置かれた“コーケー”からラジェンドラバルマン2世が、アンコールへ再遷都して952年に築かれた遺跡。建設以前からあった東バライ(バライ=溜池)の中心に浮かんで見えるように造られていました。寺院は5本の塔を中心にした3層のピラミッド型で、四隅に置かれていた象の石像の内数体は今でも残っています。第2層にある祀堂の中にはリンガが収められており、そこにかけられた水は樋を通ってバライに戻っていく仕組みになっていました。

Pre Rup (プレループ)
  961年にラジェンドラバルマン2世により建造されたヒンドゥー教寺院。このため、東メボンと基本構造がよく似ています。しかし、プレ・ループの方が大規模で、壮大な感じがします。この寺院の大きな特徴は、第二階層にある大きな石棺。ここで死者を葬る儀式が行なわれ、その際に、死者をかたどった線と、死者がうつ伏せになった線とを描く儀式が行なわれたために、プレ(ひっくり返す)・ループ(体)と呼ばれるようになったといわれます。寺院のまわりに背の高い建築物がないので、サンセットを見る密かな穴場としても人気があります。

 

Takeo
Preah Khan
Neak Pean
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