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遺跡ガイド2

Bapuon
Royal Palace
Pimianakas
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Baphuon (バプーオン)
11世紀(1055―1066)にウダヤディジャバルマン2世が造ったヒンドゥー教寺院。通称「空中参道(参道が円柱に支えられ、空中に浮かんで見えるため)」で有名です。2002年7月現在、修復作業が進められているため、本堂の中には入れません。1958年にフランス人B・Groslierによって本格的修復作業が開始されていたのですが、完成前に内戦が勃発したため、クメール・ルージュにより膨大な資料は消失してしまいました。このため1995年に改めて始まった修復が現在も続いています。この遺跡で見られる浮き彫りはバプーオン・スタイルと呼ばれる独特な物で、格子状に区切られたフレームの中にヒンドゥー教説話などの世界が繰り広げられています。寺院西側の傾斜は、寝釈迦像に作り変えられていますが、これはヒンドゥー寺院として建設されたバプーオンを後に仏教徒が使用した跡です。13世紀にここを訪れた中国人・周達観はこの寺院を「すばらしい銅の塔」と評しています。

Royal Palace (王宮)
  バプーオンの横、象のテラス裏にあるラテライトの壁に囲まれた一角がかつての王宮跡です。バプーオンからの入り口周辺には、素焼きの瓦の破片が多数散乱していますが、これは住居の屋根に使用された物ではないかと言われています。西側の入口では、壁が巨大な木に侵食されている姿が見られ、東側の入口は象のテラスと直結しています。12世紀の王はここからテラスに上がり、客人に謁見したり、軍を鼓舞した後に送り出したりしたのでしょう。宮内には池があり、大小異なるそのサイズから、通称「男池・女池」と呼ばれています。しかし、大きな男池の方で沐浴していたのは、王と2000人を超えたという妻達で、実際には男池のほうが、さながら女池と呼びたくなる様子だったのかも知れません。

Pimeanakas (ピミアナカス)
10世紀末から11世紀初頭にかけて建設されたヒンドゥー教寺院で、建設には複数の王が携わったとされています。雨季になると環濠に水が溜まり、浮かんでいるように見えることから「空中の宮殿=ピミアナカス」の名前で呼ばれるようになりました。主にラテライトを使用した3層からなるピラミッド構造で、最上部には砂岩製の祀堂が設けられていました。伝説によると、最上部の祀堂内には蛇の女神・ナギンが住んでおり、王は夜になると、大勢いた正室・側室の誰よりも先にこのナギンに会いに行かなければならなかったそうです。周達観は、この寺院を「金の塔」と書き記しているので、ピミアナカスは金色に彩られていた可能性もあります。王の住居がピミアナカスの西側にあったためか、西側の階段は幾分上りやすくできています。

 

Terrace of Elephant (象のテラス)
  ジャヤバルマン7世によって、12世紀後半に建設された南北に400mという巨大なテラス。広場に面した東側一面に、象に乗った人間が狩りをする姿が刻み込まれているのでこの名で呼ばれています。北、南そして中央にそれぞれ張り出したテラスと階段があり、テラスに上ることが出来ます。北のテラスの上にはハスの花を模した聖火台があり、ここには火の神・アガニが祀られていました。中央のテラスは裏で王宮跡の東門と直結しています。南のテラスは彫刻が少なく用途は謎です。周達観の残した記述によると、このテラスには木製のパビリオンがあったと思われ、内部には会議室や金製の窓枠や多数の銅鏡などがあったとも記されています。

 

 

Terrace of the Leper King ( ライ王のテラス)
象のテラスと同じく、ジャヤバルマン7世による仏教建築。ライ病(ハンセン病)を患って亡くなった王を弔うために造られたという説と、その王を葬った火葬場だったという説があります。このテラスからは大きな石像が見つかっているのですが、石像のモデルについては「ライ王」、「裁きの神・ヤーマ」、「富の神・クーベラ」などの諸説があります。現在テラスにある石像はレプリカで、本物はプノンペンの国立博物館に収蔵されています。外壁は2重になっていて、それぞれに浮き彫りが施されています。

Prasat Suor Prat (プラサット・スール・プラット)
  象のテラスと向き合うように建てられた、ラテライト製の12基の塔の遺跡で12世紀後半にジャヤバルマン7世により建造されました。「王は全ての塔の頂をロープでつなぎ、踊り子に綱渡りをさせて見物したのではないか」という伝承から”綱渡りの塔”=プラサット・スール・プラットと呼ばれるようになりました。また、この塔は神明裁(罪人を塔に放り込み、体調を崩した方が「悪いことをしたので、病気になった」として裁かれた。)に使われたのではないかという説もあります。12という数字は、ジャバルマン7世の娘の数とも一致するので、それぞれの娘のために建設されたのではないかとも言われています。

Kleang (クリアン)  
クリアンはプラサット・スープラの裏側、勝利の門への道を挟んで北と南に1基づつ建てられています。建設は10世紀の後半頃、ジャヤバルマン5世とされていますが、後に何度か改装が行なわれています。用途については不明で、外国からの国賓を泊めた場所という説や、宝物殿として使われたという説があります。

Tep Pranam ( テッププラナム)
9世紀後半にヤショバルマン7世によって建設されたヒンドゥー教寺院。現在残っているのはラテライトの土台と高さ4.5mの仏像のみです。周囲には僧や出家した女性たちの住居があります。

Preah Palilay (プリア・パリライ) 
建設時期や王は不明。テップ・プラナムからさらに奥まったところにあります。塔門の破風に施された浮き彫りや、寺院前のテラスに残されたナーガが見事。塔の周辺は崩壊がひどく、滑りやすいので来訪時には十分な注意が必要。観光客よりお参りに来る地元の人たちの方が多いようです。

 
Preah Pithu (プリアピトゥー)
ソリヤバルマン2世他、複数の王が建築に携わったとされます。5つある神殿のうち4つがヒンドゥー教寺院で、残る1つは仏教寺院ですが、後になって建設されたものです。境内にはリンガやヒンドゥー神話のレリーフが施された石が多数残されています。見逃せないのは1番奥にある仏教寺院で、祀堂の内側には多数の仏像が刻まれています。強い西日に包まれる夕方に訪れると神秘的な雰囲気が味わえます。


Prasat Kravan (プラサット・クラバン)
  921年、ハルサバルマン1世によるヒンドゥー教寺院。レンガに施されたレリーフは風化が激しく、原型を留めていないのが通例ですが、フランス極東学院により1964年から行なわれた修復の結果、現在の形まで復元されました。正面から見て真ん中と右端の塔の内部には、それぞれビシュヌ神の伝説とその妻ラクシュミーのレリーフがあります。修復に使われた新しいレンガは「CA」(Conservationd'Angkor)の刻印が刻まれています。

 

Elephant terrace
Prasat Slu Prat
Prasat Kravan
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