Angkor Explorers 【アンコール・エクスプローラーズ】 カンボジアの山に登る
日本テレビ電波少年「アンコールワットへの道」の場所までいきました その1

2001年9月。今は亡き電波少年の「アンコールワットへの道」企画が始まったことを聞いて、本当にカンボジアの道を舗装しているのか?と疑問になり、現場まで見に行くことにしたのだった。

と言うよりも、シェムリアップ常連の友人ねずみさん(写真中央)ねずみさんが行きたい行きたいってゴネまくったからだ。

ここはKralanの町。うちのバイクは80ccの2ストの赤いホンダCRMです。オイルとガソリン食いまくりw

Kralanから北上して行く。タイ国境までの道のどこかでやっているという情報しかなく、ひたすら悪路を進んでいく。

国境の町Osmachまではピックアップもあまり走っていないようだった。Osmach国境は98年にポト派と政府軍の最後の戦闘が行われた場所だけにちょっとびびっていた。

Srei Snam に到着。ここには内戦で使われた戦車が放置してあった。雨季にしてはここまで雨も降らずにたどりつけたという感じだった。町の人に舗装している人をしっているか?と聞いてみたが、だれもしらなかった。
さらに北上し昼過ぎにSamrong到着。出発から5時間以上たっていて、ここで遅い昼食をとった。Samrongは大きな町だ。ここからBanteay Chhmarへ抜けてSvayまでの道のほうが、まだ道路状況がいいのだそう。 Chhmarはこの年の6月にSrei Sisiphonからバイタクで行って酷い目にあった思い出の地。

Samrongの町で聞き込み調査をすると、この町のゲストハウスに「日本から来た舗装をしに来ている人たち」が泊まることがあるそうだ。それは毎日ではないらしい。どうやら本当にやってるようだ。

サムロンを出て山が見えてきたあたりで小学校にテントが張っ てあった。「ここかな?」と思い入ってみるとちょうど皆さん昼寝の最中だった。日本人の撮影スタッフがちょうどいなかったので、いろいろ質問された。ここからの道 路状況が気になるようだった。
ねずみさんが用意したお産のカレーやおつまみを渡すと歓声があがった。このときのビデオは今見てもとても面白い。 

カンボジア人かタイ人のハンディカメラ持った人が逐一この場面をとっていたのだが、この光景は決してオンエアされることはなかったのだった・・・

彼らと別れてさらにタイ国境へ向かう。

すぐのところに雑貨屋があった。いままでは何もなかったところらしく、彼らを目当てに出店したのだろうか。

タイ国境の手前で見てはいけないものを見てしまった。カンボジア政府が舗装しているのだ。数ヶ月前に彼らが 舗装した道を機械をいれているのだ。後に口の軽い某筋から聞いたところによると、日本テレビがこの道の舗装費用をすべてもっていたということ、沿線の学校 の建設やらの支援していたということも判明した。
この後、番組関係者があわてて追いかけてきて、からこの企画がおわるまで見たことは口外しないように釘をさされた。こんな場所まで一般人が来るなんて思ってもいなかった様子。ざまあwww
彼らと別れると広い道にでた、Osmachについたのだ。

このときの時点では、カンボジアとタイとの北の国境で外国人は通過できない状況だった。この日はこの国境の町のゲストハウスで宿泊することになった。

ねずみさんがタイの様子を覗く。

次の日、朝に彼らと再び会い、シェムリアプまでの帰路についた。途中で何度もパンクするぐらいものすごい道だった。
手馴れた手つきでパンクを直すクメール職人。パンクはどの車種にもかかわらず、穴1個が1000R、チューブ1本は1$程度だ。パンク修理がおわりシェムリアップにたどり着いたのは日が暮れる直前だった。

Sep/2001